
密航留学生ならまずはここ!みたいな立ち位置の長州ファイブ。
いま出ている長州ファイブ関連の本ではこれが一番手に取りやすいみたいなので、とりあえず読みました。
密航前の段階からその背景を詳しく書いてあるので分かりやすかったです。
山尾庸三:工学の父
井上勝:鉄道の父
伊藤博文:内閣の父
井上馨:外交の父
遠藤謹助:造幣の父
彼らは1863年に長州藩から英国へ渡った5人組の密航留学生で、それぞれ帰国後の活躍により「〜の父」とか呼ばれています。
5人は圧倒的に技術の進んだヨーロッパに留学し「人間の機械」となって戻ってくることを誓い、出発するのだけど、一方で当時の長州藩は尊王攘夷に燃えており、長ファイメンバーも伊藤、山尾、井上馨はイギリスへ向かう前年に英国大使館を焼き討ちしている。
これは渡航前に伊藤博文が詠んだ詩。
高杉の元で活発に攘夷活動を行っていた伊藤にとっては、敵国に学びに行くのは恥だった。井上馨も洋学を学びつつも過激攘夷派のひとりだ。
個人的に、一番分からないのが山尾庸三なんですよ。この人の渡航後のイメージは真面目、誠実、勉強熱心で人当たりの良い人物という感じなんです。
英国で出会った薩摩スチューデントとも積極的に交流していて、グラスゴーへ行きたいけどお金が無いとなった時、薩スチュのみんなは快く援助してくれる。これは絶対に山尾の人柄のおかげだったと思う。
その山尾が英国大使館の焼き討ちに参加した。著者は高杉のカリスマ性や同士達の攘夷熱に抗えなかった、山尾の本意では無かったように憶測している。
まあ、大使館については死者は出ていないですし、攘夷活動としても結局大したダメージは与えられていないので、今となっては笑い話かもしれない。
けれど、未だに笑えないのがその後の、国学者「塙忠宝(はなわただとみ)」の暗殺事件です。この実行犯が伊藤と山尾だと言われている。
塙が狙われたのは、彼が「孝明天皇を廃位しようとしている」という噂があったからだとされるけど、噂に過ぎず、実際はとても殺されなければいけないような人ではなかったみたい。
流石に笑い話に出来る事件じゃないのだけど、これも山尾にとっては「本意では無かった」のだろうか?
しかもこれは5人が英国へ出発するのと同年、ほんの数か月前の出来事だった。念願の海外留学が叶う一方で、その直前に殺人に手を染めた山尾の胸中やいかに?
わたしは基本的にはこの山尾庸三という人物がとても好きで、長州ファイブでは最推し人物なのだけど、やはりこの辺の行動には納得できないものがある。
渡航後の穏やかな人柄こそが山尾の本来の姿だとは思うのですが、そんな人物でも人斬りに変えてしまうくらいに、当時の尊王攘夷熱はすさまじかったのかもしれない。
なんだか、薩摩スチューデントの畠山義成と少しイメージがかぶる気がしてる。この子も誠実、穏やかな好人物で、個人的にも薩スチュの最推しなのだけど、元はなかなか頑固な尊王攘夷派でしたから。しかし畠山くんは取り返しのつかない間違いを犯す前に渡航し、世界の実態を知ることができました。
うーんなんとか思い止まれなかったのか?山尾よ…。久坂か高杉あたりに命じられて、だとは思いますが。ついでに言うなら、毛利元徳にバレて未遂に終わった外国公使襲撃計画でも山尾はメンバーの中に居たりする。
未遂で良かったですけど、殺る気まんまんじゃないですか…。
長州ファイブの話では必ず語られる定番ネタです。伊藤の排泄は映画でも描かれてしまいました…。いちおう初代総理大臣なんだけどな。
「ネイビー」と「ナビゲーション」は、密航を手伝ってくれたジャーディン・マセソン商会に「何を学びにいくの?」と聞かれ、あやしい英和辞典を引きながら下手な英語で「海軍」と言おうとして「航海術」と言ってしまい、だったら体験させてあげよう!ということで、イギリスに着くまで、4か月ものあいだ下っ端水夫のように働かされたとかいう話。おかげで着いた頃にはみんなボロボロだった…。
この時に使われた「英和対訳袖珍辞書」は渡航する時に伊藤が持っていった日本初の英和辞典なのだけど、その内容は間違いだらけだったらしい。この辞書の編纂者である「堀達之介」は、ペリー来航時に交渉の通訳をした人ですが、薩摩スチューデントに随行した通訳「堀孝之」のお父さんでもある。代々通訳一家だったんですね。
こんなところにも長ファイと薩スチュの繋がりがあったんだなあ、と思いつつ、長ファイ達がこき使われて死ぬ思いをした原因を作ったのは堀くんのお父さんだった、とも言える!?
5人とも飢えたカラスのような状態でやっと到着したロンドン。そこで5人が入学する大学が、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)でした。
後からやってくる薩摩スチューデント達も同じ学校へ入って交流するのですが、本書の著者である桜井さんも同じくUCLの出身者だということで、大学についての説明が充実していました。
みんなを「先輩」と呼べるなんて、羨ましいです。
みんながロンドンで学んだのが「無宗教性」を売りにした大学だったというのは、何度か読んだんですが、そういう背景だったんですね。
日本人達を温かく迎え入れて、世話してくれた「ウィリアムソン教授」が身体障害者だったというのも、なるほどなと。異教徒でも障害者でも、わけの分からん日本人密航者でも、どんな人にでも平等に教育をという精神、素晴らしい。
幕末日本で活躍した外交官、「アーネスト・サトウ」も同じくUCLの出身者だったそうで、そこそこ章が割かれていました。この人はかなり顔が広くて、幕末について調べると有名人の近くには何処かしら現れる…みたいなイメージです。長州ファイブの伊藤とも文通友達。
サトウの伝記や著作もそのうち読みたいと思っています。
本書では、著者のお気に入りということで中心的に書かれていたのが井上勝です。
みんなを温かく迎えてくれたUCLですが、ほとんどの留学生たちは卒業までいけていません。薩スチュのみんなは学費切れで、半数が帰国し、もう半数は別の場所へ移ってしまったので全滅です。
長ファイも伊藤と井上馨は半年ほどで帰国し、遠藤も体調不良だか学力不足だかで帰国。山尾は薩スチュに援助してもらって、造船を学びにグラスゴーのネイピア造船所へ行ってしまいました。
この中でUCLを卒業できたのは、後に鉄道の父となる井上勝ただひとり。
余談なんですが、後に長州ファイブ、特に山尾庸三の後を追うように、UCL及びネイピア造船所に入り、同じく造船を学んだ「天野清三郎」という人物がいます。松門生として高杉晋作を慕っていて、山尾とももちろん知り合いだったと思われ、帰国後も彼は山尾の部下となり造船技師として活躍します。引退後には松下村塾の資料などの保存に努め、現在では萩博物館が所蔵している長州ファイブの写真も、彼が大事に保管していたものです。個人的に、長州ファイブの話ではなかなか外せない人物だと思っています。
帰国後には鉄道に人生を捧げた井上勝。
晩年は病気の身体を引きずりながらも、もう一度、思い出のロンドンへ向かいますが、今度は過酷な船旅ではなく、大陸から、生涯愛した鉄道を乗り継いで向かいました。その旅はきっと相当に感慨深かったことでしょう。
恩師ウィリアムソン教授はすでに亡くなっていたけれど、キャサリン夫人が迎えてくれて、すっかりおじいさんになった勝を見て歓喜の声をあげたらしい。
こんな時期に、こんな身体の状態でロンドンへ向かったことについて、著者は「死にに行ったのだと思う」と考えを述べている。
そしてヨーロッパの交通機関を視察した後、またロンドンへ戻り、第二の故郷で静かに66歳の生涯をとじました。なんとも、しんみりしつつも温かな読後感なのでした。
余談の「天野清三郎」と一緒に渡航した仲間である「飯田俊徳」も、その後同じく鉄道の道に進みまして、井上勝と一緒に技師の育成に尽力。初めて日本人技師だけで「逢坂山トンネル」を完成させたりしました。こういう人と人との繋がりの話が大好きです。
そして、山尾庸三も帰国後に技術官僚として活躍するのだけど、一方で盲唖学校の設立などにも尽力しました。これは留学時代に造船所で働く障碍者を見て感銘を受けたためと言われていて、本書にもそう書かれている。
しかし、もう一つ理由として、山尾が伊藤と共に暗殺した「塙忠宝」は、盲目の国学者である「塙保己一」の息子だったから、罪滅ぼし的な意味があったのではという話もあったりする。もしそうなら、山尾は相当にあの時の事を悔やんでいたに違いないですね。
もしかしたら、お世話になったウィリアムソン教授(片目失明、半身麻痺)のことも関係あったかもしれない。色んな資料からうかがえる山尾庸三という人の人物像からして、自分の過ちに何も感じていなかったとは思えないのですよ。
・武田斐三郎
五稜郭を造った人。函館の洋学学校の塾頭として、井上勝と山尾庸三のほか「前島密」「吉原重利」も育てた。1861年に「亀田丸」で山尾も乗せてロシア、ニコライエフクスへ航海。
・武田久吉
アーネスト・サトウの息子で植物学者。おとっさんにかわいがられ、環境保護活動に捧げた生涯。著書「尾瀬と鬼怒沼」は読んでみたいです。
・「エルギン卿の遣日使節録」
アーネスト・サトウが日本に興味を持ったきっかけの書籍で、あの色々と問題の人物、「ローレンス・オリファント」の著書。